仕事って罰ゲームなのか?
いや、そうではない。少なくとも僕にとっては違う。
しかし、罰ゲームにしてしまっている人が多いと感じる。
イヤイヤやっている仕事は楽しくない。
楽しくないことは簡単には続けられない。
続けるために「お金のため」っていう言い訳が役立つ。
もちろん「お金」は大事な要素だ。
ただ、せっかくなら、イヤイヤやるのではなく「仕事」を楽しみながらやれる方法を教えたい。方法は2つある。
- 『変える』 仕事を変える。職場を変える。
- 『変わる』 自分が変わる。
1はまた別の機会に話そう。2について、今回は話したい。
仕事とプライベートの時間の使い方
働き方の一つとして、自宅で仕事をする人が増えた。
すると、仕事以外のものだったプライベート空間に、仕事が割り込んできた。
旅先でワーケーションってことも増えた。ワーケーションとは、WorkとVacationを合わせた造語で、仕事と休みを組み合わせた働き方のこと。
こちらは、遊びの中に仕事が入ってきた。
つまり、仕事をしている時間が「自分の時間じゃない感覚」だったことが過去となり、今では自分のプライベートの時間(空間)の中に「仕事の時間(空間)」が入ってきたような感じだろうか。
ジョブ型とか成果報酬型などと言われるように、雇用の考え方も多様になりつつある。
その結果として評価制度などが見直しされ、「仕事の時間」についても考える人が増えているように思う。
自宅で仕事をしていると仕事とプライベートの境目が難しいという話はよく聞く。
いっぽうで会社に出社して、他の人と一緒に仕事をしていると、自分のことや家のことは空間的にも物理的にもできない。
「仕方がない。勤務時間だから仕事しよう(したふりをしよう)」と職場では思える。
しかし今では、自宅やコワーキングで自由気ままに働くことが比較的許される。
やるべきことがやれていれば、仕事のスタイルは問われない、となるとこうだ。
「早く終わらせよう。そしたら、別のことをしよう(ただし、Slackはオンにしとこう)」
ジョブ型が進むとこんなふうに考えて、やらなきゃいけないこと(仕事)をさっさとやってしまおうって人も増えているように思う。
自分のプライベートで楽しみに使える時間が増えると、満足度も増すから、きっと楽しい毎日になると思う。
仕事をしている時間は誰のもの?
仕事をとにかく早く終わらせて、自分の楽しみに使える時間を増やすことだけ頑張っていると、こんなふうに思う人が現れてくると思う。
「あれ?自分は何のためにこの仕事をしてるのか?」
「もっと楽(らく)して楽(たの)しくお金が稼げないか?」
おそらく、この人が考える「仕事」とは、イヤイヤだけど、やらなきゃならないことになっているからやるもの。していないとサボってるって言われるからやるもの。「やってるふり」でも良いから、していればお金がもらえるもの。
だから、監視されて、管理されて、指示されないとやらない。
そりゃそうだよ。その「仕事」たいしてやりたくもないことなのだもの。僕は経営者として事業家として、このことに気がついていなかった…。
そんな中で、僕はあるキーフレーズが浮かんだ。
『仕事って罰ゲームなの?』
罰ゲームは、楽しいイベントの中に混ぜられるイヤイヤやらされるゲームだ。
仕事って、大変な事も多い。自分のことを思い返してみると、つらい出来事や失敗ばかりの毎日で、良かったなぁって思えることなんてたまにしか無い。
だけど、僕にしかできない、僕たちにしかできないことがあると思ってやってきたし、お客さんに期待されているのが嬉しくてやってきた。
うまくいった時の喜びはおっきい。関わる人が多くて難しいものほど嬉しい。仲間が増えることも嬉しい。
だから、僕のプライベートな時間はいつでも仕事のことを考えている。
嫌な仕事はやめて、好きを探したほうが良い理由
では逆に、その仕事が本当に好きでやっている人って、どのくらいいるんだろうか?
好きってひと言で言っても、いろんなレベルがあると思う。そもそも他人と比べる必要もないことだけど。
ただ、仕事をイヤイヤやっている人とはまったく違う。
イヤイヤなのだとしたら、すぐさまそれはやめたほうが良い。
自分の人生を無駄にしているし、一緒に仕事をする人(少なくともイヤイヤやってない人)の邪魔をしているからだ。
他人から見ると、イヤイヤやっている人がいると本当に足手まといで邪魔くさい。
イヤイヤやっている人を働かせるために、管理職がどれほどの時間と労力を使うことになるのか。
一緒に働くメンバーの士気をどれほど下げるようなことをしているのか。
イヤイヤやっている人自身が、一体どれだけの人生の時間を無駄にしているのか。だから、好きじゃない仕事をイヤイヤしているという状態にある人はすぐにでもやめて、少なくとも嫌じゃない仕事に変えたほうが良いと思う。
- 大好きな仕事
- 好きな仕事
- 好きじゃないけど嫌でもない仕事
- 嫌な仕事
この4つの段階で自分がやっている仕事が3であれば、好きになる努力や好きな仕事を探すべきで、4ならすぐに辞めてせめて3を探そう。できれば2を探せると良い。
仕事を罰ゲームにしないで済むヒント
自分の大事な人生を嫌な仕事で使うのはもったいないと僕は思う。
良くも悪くも仕事の形態は、新型コロナウイルスの影響で大きく変わった。
副業のカタチでも、自分のやれる範囲を広げていく方法を試してみてほしい。
本業があるので時間こそ割けないが、やってみたいことや、やれることで嫌じゃない仕事をしてみると、ずいぶんと自分自身が生き生きとしてくることを感じられるはずだ。
会社の規定があって副業が難しいなら、プロボノと言われるようなお金はもらわない形態もある。
こんな話を後輩の経営者にしたら、彼がもっとおもしろいことを言う。
「子どもに『将来就きたい職業は何ですか?』って聞くあの質問、やばくないっすか?」
彼いわく、「どんな仕事をしたいですか?」ならまだ分かると言っていた。
子どもは、やりたいかやりたくないかで物事を判断してる。
意思決定において、親の期待や周囲の雰囲気はあまり重要ではない。
誰の心の中にも「こういうことをしたい!こういう仕事がしたい!!」が少しはあるはず。その結果、「その仕事ができる職業はなんだろう?」っていう疑問が出てくるんだ。
それを一足飛びに「職業」って話をしちゃうと、「職業」っていう名刺の中から選べる既存の仕事しか選べない。そして、その最たる例が、何の仕事ができるかもわからない中で行われる就職活動だ。
「どの会社に就職したいですか?」は、そのうち無くなる質問なのかもしれない。
「どんな仕事をしたいですか?」「だれと手を組んでやりますか?」って質問になっていくのだろう。
ジョブ型雇用や複数の仕事を持つ複業時代においては、これまでのような「就職観」は通用しなくなってくると思う。
仕事をしていて楽しい、おもしろいと感じることは成長の源泉
最後に「仕事をして楽しく感じること」の仕組みについて話をしておきたい。
仕事の醍醐味は、ツラいことや痛みが伴うこともあるけれど、自分の能力を拡張できる、できなかったことができるようになるっていう単純な楽しさだ。
しかし、毎日同じルーティンで自分の能力が磨かれない、成長が感じられないとなるとやる意味が「お金」だけとなり罰ゲームと感じられる。
実際の仕事の現場では、半年もすれば全く経験の無い人でも、仕事で必要とされる部分での知識・技術っていう領域は追いつくことができる。それは、仕事自体がドンドン細分化されてきていることと、ツールやソフトの進歩によるところが大きい。
つまり、石の上にも三年っていう時代は、業務も複雑で自分の手で感触を覚えるしか無い、マニュアルもなくて背中で教える師匠や怒号を飛ばしてくる上司についていくしか無い世界線の話だ。現代において、実際の仕事の場面ではこんなことはあんまりない。
通常業務は半年やそこらでやれるようになってしまうと、その先が問題だ。ルーティンになると飽きがくる。仕事をやる目的の一つに、
A:能力が磨かれること、達成感が得られること
B:お金がもらえること
が挙げられるだろう。
毎日同じルーティンの中にも本人が何かしらのAを感じられるのであれば、それは罰ゲームじゃない。また、Aは不要で、Bのために働いているならば本人は罰ゲームとは感じないはずだ。価値観の違いだ。
ただ、AかつBをしたいならば「成長の仕組み」を知って自分を磨くことが必要だ。
「仕事に対する充足感」を感じたり、「仕事をしていて楽しい」に出会うためには、自分に足りなかった要素があって不安になったり、想像していた以外のことが起こって失敗したりを繰り返して、ドキドキしながらもやりきっていくことによってのみ醸成される。
これが「仕事による成長の楽しみ」の仕組みだ。
成長するには、不安と失敗が必要だ。それを乗り越えた時に得られる快感は、ストレスの後にやってくる。「自分が変わる」とは、「成長を知る」こと。
できなかったことができるようになるには、練習が必要で、失敗の連続。
当然自分自身や、周囲からの重圧や緊張感もある。
それらを乗り越えて成功したときの達成感は格別だし、それを知っている人は仕事が罰ゲームとは思えない。
仕事とは、お金も得られる自己の能力拡張のための行為だ。
仕事を罰ゲームと感じている人は、一度は「仕事をしていて楽しく感じられる」ことを味わってほしい、と僕は考えているし、一緒に働く人には味わってもらえるような場を提供したいと考えている。
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